デスクリムゾン関連ニュース
バックナンバー 96年&97年・98年前半・98年後半・99年前半・99年後半・2000年・現在・一覧
97年12月29日:冬コミでメサイヤに直撃インタビューが行われる
伊月さん・VAY伊東さん達が、冬コミにて、企業ブースに出展していたメサイヤの方からドリジェネについてお話を聞く事がかないました。
メサイヤの方が「レインディアとしては初タイトルです」と語られた事に対し、「“レインディアとしては”………と言う事は他の会社の別ブランドなのですか?」と鋭く突っ込む場面も(笑) それに対して「レインディアは有限会社と聞いていますから………」とのメサイヤの方からの御解答。ちなみにエコールソフトウェア社は株式会社です(^^;
インターネット上のWebページにある「蓮宮セリナ」というキャラの出る「ぱあてくる」という所が作る「スイートハート物語」との関係については、メサイヤの方も同じであることを語られ、また「メサイヤが介入する事により豪華声優を投入する事も出来た」,「メサイヤブランドで出す以上『発売日未定』を続けても良い作品に仕上げる」と語られたそうです。
97年12月18日:セガサターン最高峰RPGの呼び声高いグランディアにもデスネタ
12月18日、ゲームアーツが4年をかけて作った力作RPG「グランディア」が発売されました。しかし、ゲームアーツはセガサターン陣営にいる限り、デスネタの呪縛からは逃れられなかったようです。
まず、ゲーム開始直後にて、「ちょび髭グレッグ」というおじさんが出てくる。
次にCD2枚目、かなり上から落ちた主人公達(普通の人間ならまず間違いなく死んでいるところ)が、地面にぶち当たっていきなり、
ジャスティン(主人公):みんな、生きてるかぁ?
ラップ:あぁ、なんとかな。
と、デスクリOPを感じさせる内容になっています。単なる偶然とも思えますが、その時に表示されるラップの顔の一枚絵が、きばった妙な笑える顔になっている辺り、デスクリムゾンの裏声ボイスを思い起こさせてくれます。
97年12月12日:サタマガに「蓮宮瀬里奈」と掲載されたギャルゲー登場
12月12日に発売されたセガサターンマガジン誌12/26号にて、メサイヤより発売される「ドリームジェネレーション 恋か?仕事か!?…」が初めて画面写真が掲載され、その中で主役級の扱いで取り上げられている女性キャラの名前が「蓮宮瀬里奈」。例の風車ページの同名キャラの登場により、「スイートハート物語」から「ドリームジェネレーション」になった事は間違いないと思われました。ただしエコールの名前は無く、レインディアのコピーライトが記載されていました。
97年12月5日頃:掲示板「赤の扉」にエコール次回作を匂わせる謎のメッセージ
『謎』という名前で、『12/12』というタイトルで、
『SH→????????????』
というメッセージをOut of serviceページの掲示板「赤の扉」に書き込まれた方がいました。(ログを残していないので明確に判らないのですが、確かこんな感じであったと思います。)
『?』の数から「ドリームジェネレーション」が丁度入り、SHは「スイートハート物語」を差していたように思われています。
97年12月上旬:スイートハート物語のページへのアクセスが不可になる
突如Forbidden(禁ずる,妨げるといった意味)と表示され、アクセス出来なくなりました。今考えると「スイートハート物語」から「ドリームジェネレーション」に変更になった事によるアクセス禁止のように思えます。その後98年に入って一時期ページが復活していたりもしましたが、その情報が掲示板で話題に登るとすぐにまた、Forbiddenに戻ってしまいました。
関連リンク:現在はアクセスできないスイートハート物語のページ
97年11月下旬:マイコンBASICマガジン誌に「スイートハート物語」はエコールソフトウェアと記載
Out of serviceページの掲示板「赤の扉」にて、C2!さんが、その情報を書き込んで下さいました。
新作ソフト発売スケジュール表に、「スイートハート物語」として記載され、メーカー名に「ぱあてくる(エコールソフトウェア)」と記載されている事実が発覚。8月頃からずっと発売スケジュール表に記載されていたそうです。
97年10月下旬??:「スイートハート物語」の紹介ホームページが発見される
「蓮宮セリナ」という名前で、
「美少女シミュレーションゲーム
スイートハート物語が制作中です
98年初頭の発売を目指しています」
と書かれ、何故か風車の絵が置かれており、particleという名前のアドレスでした。
「スイートメモリー物語」とよく似た「スイートハート物語」というタイトル。謎の風車。風車の下に「蓮宮セリナ」と書かれていて蓮宮セリナは風車なのかと一瞬思わせる。など、エコール的センスが大爆発していた事から、これがエコールの新作なのであろうと確信される方も多かった事と思います。
97年9月22日:エコール社、阪大SF研による学祭パンフへの広告出稿依頼を拒否
Cogito, Ergo Sumページのコンバット会議室(現:コンバット掲示板・ジェネレーション)にNagiさんが報告して下さいました。
学園祭のパンフへの広告(ちなみに3000円)を出してくれるようにエコール社にまずメールにて依頼されたそうですが返事も来なく、そのためNagiさんが直接訪問されたそうですが丁重に断られてしまったそうです。その時応対してくれたエコールの方は、30歳くらいの普通の男の人でカッターシャツを着ておられたそうです。
アルバイトの求人告知は掲載しても、学祭パンフへの広告出稿を断るのは、企業も地元地域社会の一員として、どうかと思われますが、そこもやはりエコールらしいの一言で片付けられるかも知れません(^^;
97年9月3日:エコールのHPが消失
突如、今まで我々を楽しませてくれていたエコールのホームページが消失。その後、index.htmとファイル指定すると、春頃に公開されていた旧インデックスページを見る事が可能であると判明するも、その後、そのファイルも削除されてしまいました。
97年8月17日頃:エコールの新作は「スイートメモリー物語」との説が大きな話題に
セガ研究会慶応大学支部のVAY伊東さんが、夏コミ奮戦記として、夏のコミケットで仕入れた情報を公開された中に、『エコールの次回作は恋愛シュミレーション。タイトルは「スイートメモリー物語」 』と書かれたために、各掲示板でこの話題が大ブレイク。
「特にかわいい女の子がかける人」を募集していただけにギャルゲーと思われておりましたが、この時初めて、具体的なタイトルを目にすることができました。
97年7月頃??:「ゲーム業界就職読本’98年度版」にエコール社も掲載されていた事が判明
どなたが書き込んで下さったのか当方の記録に残っていないため判らない(申し訳ありません)のですが、皇帝∞機構内のクソゲー秘密教団集会場にて、アスペクト社より4月16日発行の「ゲーム業界就職読本’98年度版」という本に、300社近くのゲームソフト制作会社の概要・求人情報が掲載されているのですが、エコールソフトウェア社も掲載されている事が報告されました。
エコール社側からの就職希望者へのコメントに、『一生をゲームにささげる人のみ応募してください。』と書かれているあたりがエコールテイストを感じさせる内容になっています。
代表者に真鍋賢行さんの名前が掲載されており、今までのエコール2作品にて制作総指揮的立場におられた真鍋さんがエコール社の代表者であられる事が判明し、クリムゾナー達は真鍋さんを更に尊敬・崇拝し、またこれ以降、「真鍋社長」と呼ぶようになりました。
ちなみに98年の春に発売された「ゲーム業界就職読本’99年度版」にはエコール社の情報は掲載されていないそうです。(すみません。未確認です)
大平松帝国の旧コンテンツの見よ!!エコールソフトの偉大さを!!
「ゲーム業界就職読本’98年度版」のエコール社の情報がまとめられています。
97年6月上旬??:エコール社ホームページ更新。プロイラストレーター募集から一応給料のあるアシスタント募集に
INDEXページのプロイラストレーター募集が、新作ゲーム開発にあたってのお手伝いさん募集に書き換えられ、9月末まで大阪で住み込みで働ける人でフォトショップの多少使える人を募集する内容に変更されていました。仕事内容の最後に「少ないながらも一応、給料があります。」と書かれていたのが、やはりエコールらしさを感じさせ、「もうゲーム事業から撤退してしまったのでは……」と心配していたファンにも希望を与えました。
97年5月上旬:エコール社、阪大をメインに大阪各地の大学にアルバイト募集告知
学内の掲示板に張り出されていたそうです。大阪大学以外の在阪大学でも少量ながら告知ポスターは確認されたようです。
97年4月下旬頃??:エコールもぬけのから?エコール社移転が発覚
デスクリのパッケージに書かれていた住所に足を運んでみると、もぬけのからであったとの報告が。一時、倒産・夜逃げ説も考えられましたが、移転したことが確認されています。
97年4月下旬頃??:デスクリムゾンの記録を塗り替える読者レースオッズ1.0769登場
セガサターンマガジンの読者レースにて、下からトップの位置を確固たるものにしたサターン帝王デスクリムゾン(読者レース内表記『超魔王デス様』)ですが、突如今までの輝かしい記録を打ち破るオッズ1.0769がヒューマンの「スタンバイSayYou!」(97年3月20日発売)によって達成されました。
スタンバイSayYou!の初登場オッズ1.0769という数字は13人中12人が1点,残りの1人が2点によって達成できるものです。その上、確かスタンバイSayYou!は次の週でも更にオッズを下げていました。
スタンバイSayYou!はWindowsから移植された声優モノCD-ROMなのですが、声優をメインにすえながらも音質が余り良くなく声優ファンの方は不満を抱き、ゲームとしては、ゲームになっていない(しかしミニゲームはある)とも言えるような作品内容のため、ゲームファンは怒りを抱きました。
普通、酷ければ酷いほど喜ぶクソゲーマー達の間でも、スタンバイSayYou!に対しては怒りをあらわにする場面が当時よく見受けられました。
97年4月上旬頃??:エコール社のホームページが発見される
デスクリムゾンのエコールロゴを掲げて、エコール社のホームページがリムネット上に登場しました。こちらはYahooにも登録されていました。
特にかわいい女の子がかける人で、プロ(または同等のレベルの人)に限るイラストレーター募集をしていたり、我々の期待を裏切らないエコールらしさを感じさせるページでした。
人材募集だけでなく、本業であるCADソフトに関する案内も見る事ができ、この時初めて、エコール社がCADの会社である事を知ったクリムゾナーは多いと思われます。
97年2月14日:セガ広報竹崎氏とワープ飯野氏、デスクリムゾンをめぐって応酬
上と同じくセガサターンマガジン誌2/28号の巻頭特集「どうなる!?セガサターンPART 2特別座談会」(P.32)での出来事。セガCSプロモーション部の竹崎さんとワープの飯野さんが対談の中で、
竹崎氏:……サターンにはサターンでしか遊べないゲームもたくさん出てきますから。
飯野氏:あるね。「デ○クリムゾン」とか(笑)
竹崎氏:「リアルサウンド」とかね。
飯野氏:一緒にしないでくれよ(笑)
この後、竹崎さんが「いやいや。冗談はおいといて……」と話をサターンの今後のラインナップの事に戻しましたが、竹崎さんはその後にも、同僚のデストラーDE平野さんに対して「……長い名前だ……。略してデス様!! うん、これだ。」と語られたり(サタマガ97年12/26号P.102)、『パーチャガンを現実的な小型の銃にして出して』というサタマガ読者からの葉書に対して、「現実の銃とかけ離れたデザインにすることで、バーチャコップとデスクリムゾン(笑)のように、まったく世界観もゲーム性も異なるゲームに、共用で使うことができるわけです」と語られた事もあり(サタマガ98年1/23号P.83)、どうも竹崎さんはデスクリムゾンを意識されているようです。
97年2月14日:サタマガがエコールに呼び出しをくらう??
97年2月14日に発売されたセガサターンマガジン誌2/28号の「セガサターンマガジングランプリPART1」において、選外の「サタマガ編集部 厳選!?トピックス」にて、96年一年間の内輪的なネタを多く含むトピックスを集めたものの中に、
『○○○○○○○のレビューについて○○○○から編集長以下3名が呼び出しをくらう』
とのトピックスが掲載。前の7文字の○にはデスクリムゾンが、後ろの4文字の○にはエコールが丁度入るので、恐らくサタマガはエコールに呼び出しをくらったのだと思われますが、真意は未だ判っていません。また、呼び出しをくらって、実際にエコールまで行ったのかも不明です。
96年11月8日:史上最強オッズ1.0909で、デスクリムゾン、読者レースに登場
セガサターンマガジンの名物コーナー「読者レース」にてデスクリムゾンが、史上初の1点台ソフトとしてオッズ表に登場しました。それも1.0909という通常考えられない得点であった事から話題が局地的に大爆発、これによって、かなりの人たちがデスクリムゾンに注目する事となりました。
1.0909というオッズは、1点投票10人,2点投票1人によって達成されるオッズですから、かなり強烈なオッズと言えそうです。
読者レース初登場は11月8日発売号のようでしたので、8月9日発売のゲームとしては、票が集まるのにかなり時間がかかったようです。
96年11月1日:SCEより発売のアーク ザ ラッドIIにて「デスクリムゾン」という名の銃登場
SCEの大作RPG「アーク ザ ラッドII」に武器(銃)の名前として「デスクリムゾン」が。「無人の館」で手に入れられるようですが、そこはさしずめアッシムの館といったところでしょうか。特殊スキルとして眠り攻撃があります。
96年9月30日:エコール社移転。港区弁天町のオーク1番街から池田市石橋町へ
エコール社は9月30日に、大阪市港区弁天町のJR・地下鉄駅すぐの50階越え高層ビルの大阪ベイタワー25階から、生活感を漂わせる池田市石橋町のアゼリアタワー5階・6階に移転。
デスクリムゾン発売2ヶ月を待たずしての、交通の便も良く中心地に近いビジネス街の高層ビルから石橋町への移転は、デスクリムゾンのセールス結果による都落ちとも言えそうです。
96年8月9日:デスクリムゾン発売
96年8月9日(金)、デスクリムゾンは発売されました。ここから全てが始まりました。おそらく宇宙中の後世の歴史書には必ず掲載されているであろうこの発売日ですが、当時は余り注目されず、一部では予約特典としてTシャツが付いた事も知名度のアップには及びませんでした。
96年の8月9日には、デスクリムゾンの発売以外に社会全般ではどのような事件が起きていたのでしょうか?
- O157パニックでカイワレ大根が犯人として騒がれる,また、O157で1歳女児が死亡
- エリツィン大統領2期目に就任
かつてはあれほどヒステリックなまでに騒がれたO157ですが、2年の月日の中で完全に話題は消費しつくされ、今では余り聞く事がありません。しかしデス様に到っては、2年経った今になっても話題にされ続け愛され続けています。O157程度では、デス様のパワーには到底及ばないと言う事を如実に物語っているといえそうです。
さて、8月9日のこの日付の覚え方ですが、長崎に原爆が落とされた日と同じ事から、「デスクリ地を焼く(89)」。年号も含めて覚えるなら「苦労吐く(9689)」が良いと思われます。将来の受験生の皆さんは頑張って覚えましょう。
発売当時のデスクリムゾン広告。
「8月9日発売」ではなく「8月9日デビュー」という記載が、すぐに次の物が出る商品というより、芸能人のような寿命の長さを感じさせます。
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