明日香村を訪ねて
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石舞台古墳 横穴式石室をもつ方形墳で、7世紀の初め頃に築造されたと推定されます。 古墳上部の封土は失われ、巨大な天井石が露出した姿になっています。玄室の長さ約7.6m、幅約3.5m、高さ約4.7mの花崗岩が使用されている。天井の石の重さは北側が約64t、南側約77t総重量は約2,300tという大規模な古墳である。 蘇我馬子の墓とされています。 |
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マラ石 祝戸(いわいど)に斜めに立っている「マラ石」、男性器を模したものだが、以前はまっすぐに立っていたと案内板に書いてあった。 明日香川を挟んで対岸にある丘陵を、地元の人々は「フグリ山」と呼んでいて、「マラ石」と一対のものではないかということだ。古代の人々にとっては、生殖は子孫の繁栄や農耕信仰と結びつけて考えられていたため、その礼拝の対象として、数多くの石造を刻んで来たのでしょう。古代信仰の一端を垣間見ることできます。 |
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酒船石 飛鳥のなぞの石である史跡。この石は、伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶたのみやあと)の東方に位置する小高い丘陵にあり、この丘陵一帯に広がる遺跡を現在「酒船石遺跡」と呼んでいます。平成4年に丘陵北斜面で砂岩石垣が発見されたことから「日本書紀」の斉明天皇2年の条に記された「宮の東の山に石を累(かさ)ねて垣とす」。「石の山丘」に符号する遺跡であると推定されています。 |
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![]() ![]() 亀形石造物 小判型石造物、 この2つの石造物は、石槽となっており造形的にも優れている。組み合わせて導水施設を造り出している事が明らかになった。水の流れとしては、砂岩切石を積んで造られた湧水施設から小判形、亀形石造物を通って北へと伸びる溝に排出されており、水源から排水までの一連の導水構造が解明去れています。 |
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飛鳥坐神社 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)はもと雷丘か甘樫丘にあったといわれるが、天長6年(829)現在地に移転した。飛鳥の神奈備は豊浦山一帯(現甘樫丘)、雷丘、あるいは橘寺南方のフグリ山一帯と見る説や、また現飛鳥坐神社のある場所が飛鳥神奈備であり鳥形山であって、移座ではないとする説なとがある。 境内のあちこちに陰陽石が置かれ、いかにも古社らしい土俗的な雰囲気がある。年の初めに五穀豊穣と子孫繁栄を願うお田植神事「おんだ祭」が有名です。 |
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むすびの神石 飛鳥座神社(あすかにいますじんじゃ)の境内にある石仏の一つ、願い事をすれば叶うと書いて有りましたが、・・・ 叶うかどうか楽しみにしておこう。 何時の日か忘れた頃に叶うかも・・・ 他にも沢山の陽、陰の石がありました。 |
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天武・持統天皇陵 律令制の基礎を築いた天武天皇と、その皇后で次に即位し、天皇としてはじめて火葬された持統天皇が合葬されている陵である |
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昭和47年3月、明日香村の依頼を受けた橿原考古学研究所の発掘調査により、 「わが国考古学会の戦後最大の発見」といわれる極彩色の壁画をはじめ、副葬品など数々の貴重な資料が出土し.全国に「高松塚」ブームを巻き起こしました。 現在壁画は国宝に、古墳は特別史跡に指定され、再び密閉され永久保管が図られています。 雨水が墳丘部に流入するのを防ぐための工事中であった。 |