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呪いで人を殺す呪殺、呪術はりますが人を殺すだけが呪いの役目ではないのです。

人間の死につて呪殺

呪殺

呪いで人を殺すことを呪殺と言います。
呪いで人を殺すには、相応の鍛錬と技術は必要ですが、古代より日本でも、また、世界でも行われてきた呪いです。
呪殺で人を殺すことは不可能ではないですが、呪術師にとってもそれ相応のリスクを背負いますので滅多なことがない限り行わないことです。

呪殺の方法など、インターネットでも紹介されていることもありますが、メンタル面が弱い方は行わない方がよいでしょう。

呪いは行えば、自分に返ってくるものですから、それに対応できないのであれば、自分で行うべきことではないと言うことです。


呪殺は究極の呪いとも言えますが、本当に恨みを晴らすことにはならない理由があります。
呪いで相手が死んだとしても、その魂を次のステップへ進ませるだけに過ぎないこと。
逆に呪いで人を殺した方は自責の念と自暴自棄を背負いながら残りの人生を生きていかなくてはなりません。
また、魂にカルマを背負うことになり、その後、多くの不幸、災いを引き寄せてしまうことになり、結果的に自分の人生を悪い方向へ進ませてしまう場合があることも否めないでしょう。
自分で呪いを行うリスクは高い代償がついてくることは避けられないのです。


呪いを執行した後の自分へのメンテナンスがとても大切となります。呪いを垂れ流してしまっては自分が不幸になるのは否めません。
それは「呪い返し」とは違う作用でも働きます。様々な力が働き呪いを発生させた力を引き寄せる磁石に自分がなってしまうのです。


呪いには知識と経験がとても重要となるのでしょう。

本物の呪い

人を恨んで呪いをしたいと思うときは、相手を怨んでいるあなたがいることは確かです。
本物の呪い方とは憎い相手の人生を狂わせ、運命を破壊することです。
呪いから得られるの効果は、
・人生の目的を達成させない
・人生を見失わせる
・運命を狂わす
・災いや災難、不幸、不運を及ぼす
・生きている命の進路を翻弄させる
・生き地獄を味わわせる
などを意図的に自然現象にて憎い相手に与えることが本物の呪いです。

あなたが、背負った恨みや苦しみを今世で解消する為に、憎しみの対象と根源を生かした制裁や復讐が本物の呪いなのです。
呪いの執行にて、憎い相手は人生において、憎しみを抱かせてしまった、あなたへの懺悔を伴わせ、謝罪の心を己の行いから知らしめることでもあるでしょう。

生存本能の歪み

人は死を選択するよりも生を選択する方が何十倍、何百倍も難しいのです。

死にたいから、死刑になりたいからと無差別な殺人を行う不幸な事件も御座います。でも彼らは本当に死にたいのでしょうか。法律で守られた日本は死刑にも賛否があり、執行すべき時の大臣は執行をためらう方もおられます。
死刑を求刑されたからと言って必ず死を持って罪の清算が目前に迫るとは限らないのです。彼らは、そんな日本の統治システムを熟知してるから死刑を口に出来るのでしょう。求刑されても執行までに長い時間を費やして生きられることを分かっているのだと思います。
自分が死にたいのであれば、自死を選ぶのが普通の選択です。死にたいから人を殺すなど生への執着でしか他ならないでしょう。

人の死とは

人の死は、肉体と魂の分離でしかございません。
ですから、呪殺で相手を殺したとしても肉体と魂を分離させるに過ぎないのです。
肉体から分離した魂は次のステップへ新しい始まりへ向かうのです。
しかし、人生には目的が御座いますので目的の達成度合いでステップの踏み方は変わってきます。
ステップを踏めない死に方は自死だけです。目的放棄を自ら行うことは魂の進路を最も妨げる要因となるのです。