沿革

「善覚寺の沿革」

義持 之弟 釈義圓 青蓮院御門跡也

後に還俗して源ノ義宣と称す 義教 改め征夷大将軍に任す


義宣の曽孫「義照」  

大和国飯貝村にて出生なり

  この人 武州河越え合戦に武功の人なり

播磨国書写山に閑居したまう処 当地に観音堂あり

この所に永正17庚辰年(1520年)に来る閑居したまう

 同年10月に

本願寺実如上人に帰依し出家得度し名を「善覚」と称す

大永7丁亥年(1527年)寺を建立し善覚寺と号す

この時に今の観音堂 東の山に移し 今の観音堂これなり

平成7年(1995年)  本堂 平成の大修理 完成

現 住職は 21世