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呪いで人を殺す呪殺、呪術はりますが人を殺すだけが呪いの役目ではないのです。

呪いで人を殺す呪殺

人は生きるほうが難しいのです


呪いで人を殺す。古代より呪いの儀式や呪術で人を呪い殺すことは常に行われていました。しかし、人は死を選択するよりも生を選択する方が何十倍、何百倍も難しいのです。

死にたいから、死刑になりたいからと無差別な殺人を行う不幸な事件も御座います。でも彼らは本当に死にたいのでしょうか。法律で守られた日本は死刑にも賛否があり、執行すべき時の大臣は執行をためらう方もおられます。死刑を求刑されたからと言って必ず死を持って罪の清算が目前に迫るとは限らないのです。彼らは、そんな日本の統治システムを熟知してるから死刑を口に出来るのでしょう。求刑されても執行までに長い時間を費やして生きられることを分かっているのだと思います。
自分が死にたいのであれば、自死を選ぶのが普通の選択です。死にたいから人を殺すなど生への執着でしか他ならないでしょう。

人の死は、肉体と魂の分離でしかございません。肉体から分離した魂は次のステップへ新しい始まりへ向かうのです。しかし、人生には目的が御座いますので目的の達成度合いでステップの踏み方が変わってきます。ステップを踏めない死に方は自死だけです。目的放棄は魂の進路を最も妨げる要因となるのです。

呪いとは、人生の目的を達成させない、見失わせる働きを運命に及ばせます。その結果、様々な災いや災難、不幸、不運を齎せるのです。それは、生きている命の進路を翻弄させ生き地獄を歩いているようなものです。

呪いで死んだとしても、その魂は次のステップへ進みます。逆に呪いで人を殺した方は自責の念と自暴自棄を背負いながら残りの人生を生きていかなくてはなりません。そんな気持ちから多くの不幸、災いを齎せ結果的に自分の人生を悪い方向へ進ませてしまう場合があることも否めないでしょう。

今世で受けた仕打ちや理不尽、恨む原因や憎む理由は今世の命で解決を図ることを考えていかなければカルマとして魂に刻まれてしまうのです。
今世で背負った恨みや苦しみを今世で解消する為に根源を生かした復讐方法も呪いの選択としてはあるのです。

自分で行う呪いも呪い代行に依頼する呪いも呪いを執行した後の自分へのメンテナンスがとても大切となります。呪いを垂れ流してしまっては自分が不幸になるのは否めません。それは「呪い返し」とは違う作用で働きます。様々な力が働き呪いを発生させた力を引き寄せる磁石に自分がなってしまうのです。

呪いには知識と経験がとても重要となるのです。


呪いについて

世界の国々で様々に行われている呪い。
古代より現代に至るまで呪いは絶えることなく伝承、受け継がれています。