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呪いたいほど人を恨むことはあるものです。

呪いたい

呪いでの復讐

呪いたいほど、人を恨むことは悪いことでしょうか。そんなことはないと思います。誰だって理不尽な目に合えば相手を恨んでしまうもの。憎しみを抱く気持ち自体が悪いと誰が言えるでしょう。
でも、気持ちが刃を向く方向に問題が生じてしまうことはあると思います。自暴自棄になって自分を傷つけてしまう、無差別に当り散らす、じっと我慢して心を壊してしまう人もいるでしょう。悪を言うのであれば心の方向性にあると思います。
見知らぬ人を傷つける身勝手や自己を傷つける愚かなこと。また、抑えられない感情のまま相手を傷つけること、どれをとっても自分の利になることも理にかなう答えを見つけることも難しいと言うか無いに等しいです。

呪いについては賛否両論で考えた方も十人十色です。西洋魔術の呪いには「学び」も御座います。魔術思想は「学び」の積み重ねで古代英知を習得して近代魔術を願望成就の大奥義へと成長の歴史を歩みました。恨みを晴らすことも願望を成就させることも常にその中心に「学び」があったのです。そして、本当の魔術は今なお「学び」を中心としています。
近代魔術の「学び」は錬金術思想の取り入れで更に強まったと言えるでしょう。
錬金術は肉体や霊、生命など卑金属から貴金属、特に金を作る術として研究が重ねられ自然科学の解明に大きく貢献しました。
現代の科学で錬金術は否定されておりますが近代科学の礎となっているのは事実でしょう。錬金術の思想からは硫酸・硝酸・塩酸など多くの化学物質が発見されました。万有引力を発見したニュートンは最後の魔術師と言われています。

錬金術の究極系は「賢者の石」」です。「賢者の石」とは、人間を不老不死にする技術で全ての物質の完全化、霊魂までも対象にして完全化することによってより神に近づけると言う壮大な術でもありました。中世ヨーロッパでは盛んに研究が重ねられましたが頓挫することになります。錬金術思想の起源は古代エジプトからで、伝承されながらヨーロッパから世界へと伝わります。

中世ヨーロッパで錬金術師と魔術師との境はあまりなく錬金術師が魔術師であったり魔術師が錬金術師であったりと定義は難しいですが錬金術師と魔術師は切磋琢磨して互いの術を磨いていたのでしょう。